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3-25 最後の手紙 1

last update 最終更新日: 2025-05-21 19:37:44

その日の夜。

優しい月明かりに照らされながら、二人は渚の部屋で初めて心も身体も結ばれた。

何度も何度も飽きることなく身体を重ね、疲れ切って抱き合ったまま眠りに就く迄ずっと……。

****

翌朝——

「フワァアァア~……」

千尋は欠伸を噛み殺しながら台所でお湯を沸かしていた。今朝目覚めた時、千尋は自分の置かれている状況を全く理解出来ていなかった。

何故なら昨夜【自分の部屋で寝た】はずなのに、目覚めると祖父が使用していた部屋のベッドだったからである。しかも千尋は下着すら身に付けておらず、裸のままベッドの上で目覚めたのだ。

「おかしいな……どうして裸で眠っていたんだろう? 昨夜何があったんだっけ? 確か、仕事に行って里中さんからホワイトデーのお返しを貰って、そしてその後は……? あれ……?」

そこから先の記憶がすっぽり抜け落ちている。いや、それどころかここ数か月の記憶が断片的に途切れている。何か重要なことを忘れている様なのに、それが何なのか全く思い出せない。こんな状況ではまともに食事を作る気にもなれず、コーヒーだけ飲んで仕事に行こうと千尋は思った。

ドリップしたコーヒーの良い香りが漂い、千尋はマグカップにコーヒーを注ぐ。

「あれ?」

そこで千尋は気が付いた。

「どうして2つのカップにコーヒー淹れてるんだろう……?」

祖父が亡くなり、ヤマトも姿を消してからずっと一人で暮らしていたはずだったではないだろうか? 更に気になるのが、このマグカップ。どう見てもペアカップに見える。

「何で私、このカップを持ってるんだろう?」

その時、ズキンと千尋の頭が痛み、ある記憶が頭に浮かんだ。それは千尋が誰かと向かい合ってコーヒーを飲んでいる映像だった。けれども男性の顔はぼやけていてその顔までは分からない。

「何……? 今の記憶は……?」

大切な記憶、絶対忘れてはいけない記憶だったのではないだろうか?

でもそれを思い出そうとすると頭痛がより一層酷くなっていく。千尋はコーヒーを飲み終えると、洗面台へ行き鏡を覗き込んだ。頭痛のせいで顔色が悪いのではないかと思い、それを確かめたかったからである。鏡を覗き込んで千尋はあることに気が付いた。

「あれ……? こんなピアス、私持っていたっけ……?」

千尋は自分の耳に着けてあるピアスにそっと触れた。その時である。

《一生懸命選んだ甲斐があったよ》

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  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-10 最後の手紙 2

     今朝の千尋は遅番の出勤だった。「おはようございます」裏口から入ると店長の中島が花の水替え作業を行っていた。「おはよう、青山さん。あら? どうしたの? 顔色が悪いじゃない」「はい……。ちょっと朝から頭痛がしていたので」「え? 仕事に出てきて大丈夫だったの? お休みしても良かったのよ?」「いえ、大丈夫です。むしろ仕事していた方がいいんです」「そう? ならいいんだけど……」中島は怪訝な表情を浮かべたが、それ以上追及することは無かった。 午前中、千尋は一生懸命働いた。接客や花の配達、品物チェック等々……。やがてお昼休憩の時間がやってきた。「店長、それではお昼休憩取ってきます」千尋はショルダーバッグを下げると中島に声をかけた。「あら、珍しい。今日はお弁当じゃなかったの? 作って貰わなかったのかしら?」「え? 作ってもらうって……誰にですか?」千尋は小首を傾げた。「あら、そう言えばそうよね……。青山さん一人暮らしだったものね。作って貰える訳無いか。どうしてそんな風に思っちゃったのかなあ? 失礼、どうぞお昼行ってきて」「はい、行ってきます」返事をすると、千尋は店を後にした——****「う~ん。店長も今日は何だか様子がおかしかったな? 一体どうしちゃったんだろう?」千尋は商店街を歩きながら呟いた。そして洋食亭の前で足を止めた。「あ、ここで今日はランチ食べようかな?」 店内へ入ると、お昼の時間のピークを過ぎた頃なのか意外と空いていた。千尋がテーブル席に座ると女性店員がメニューを持って来てた。「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」「あ、今決めますね」メニューを開いたその時、またある光景が頭に浮かんだ。『ねえ、千尋はいつも何を食べてたの?』「それじゃ、オムライスで」千尋は無意識のうちに口に出していた。「かしこまりした。オムライスですね? では少々お待ちください」店員はメニューを下げて去って行った。1人になった後、千尋は思った。(私、どうしちゃったの? 何故勝手に言葉が出ちゃたのかな……?)だが、注文したオムライスは美味しかった。会計を終えて職場に向かいながら歩いていると、いつも誰かが隣を歩いていたような感覚が蘇ってきた。(そんなはず無いのに)千尋は頭を振り、おかしな記憶を追い払おうとしたのであった——*

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    その日の夜。優しい月明かりに照らされながら、二人は渚の部屋で初めて心も身体も結ばれた。何度も何度も飽きることなく身体を重ね、疲れ切って抱き合ったまま眠りに就く迄ずっと……。****翌朝——「フワァアァア~……」千尋は欠伸を噛み殺しながら台所でお湯を沸かしていた。今朝目覚めた時、千尋は自分の置かれている状況を全く理解出来ていなかった。何故なら昨夜【自分の部屋で寝た】はずなのに、目覚めると祖父が使用していた部屋のベッドだったからである。しかも千尋は下着すら身に付けておらず、裸のままベッドの上で目覚めたのだ。「おかしいな……どうして裸で眠っていたんだろう? 昨夜何があったんだっけ? 確か、仕事に行って里中さんからホワイトデーのお返しを貰って、そしてその後は……? あれ……?」そこから先の記憶がすっぽり抜け落ちている。いや、それどころかここ数か月の記憶が断片的に途切れている。何か重要なことを忘れている様なのに、それが何なのか全く思い出せない。こんな状況ではまともに食事を作る気にもなれず、コーヒーだけ飲んで仕事に行こうと千尋は思った。ドリップしたコーヒーの良い香りが漂い、千尋はマグカップにコーヒーを注ぐ。「あれ?」そこで千尋は気が付いた。「どうして2つのカップにコーヒー淹れてるんだろう……?」祖父が亡くなり、ヤマトも姿を消してからずっと一人で暮らしていたはずだったではないだろうか? 更に気になるのが、このマグカップ。どう見てもペアカップに見える。「何で私、このカップを持ってるんだろう?」その時、ズキンと千尋の頭が痛み、ある記憶が頭に浮かんだ。それは千尋が誰かと向かい合ってコーヒーを飲んでいる映像だった。けれども男性の顔はぼやけていてその顔までは分からない。「何……? 今の記憶は……?」大切な記憶、絶対忘れてはいけない記憶だったのではないだろうか?でもそれを思い出そうとすると頭痛がより一層酷くなっていく。千尋はコーヒーを飲み終えると、洗面台へ行き鏡を覗き込んだ。頭痛のせいで顔色が悪いのではないかと思い、それを確かめたかったからである。鏡を覗き込んで千尋はあることに気が付いた。「あれ……? こんなピアス、私持っていたっけ……?」千尋は自分の耳に着けてあるピアスにそっと触れた。その時である。《一生懸命選んだ甲斐があったよ》優しげに話し

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     夜、仕事が終わり店を出ると渚が店の前で待っていた。「お疲れ様、千尋」「うん、ありがとう」並んで歩きながら2人は話をしていた。「でね、里中さんもこのピアスすごく褒めてくれて、お店に来た若い女性のお客さんからは『このピアス、何処で買ったんですか?』なんて尋ねられたりしたんだよ?」「うん……」渚の返事はどこか虚ろだった。「渚君、どうかしたの?」「大丈夫、何でもないから」でも明らかに元気が無い。「けど……」「本当に大丈夫だってば。それより今夜のディナーは期待しててね。ちょっといつもより頑張ったから」渚が明らかに話を終わらせたいのが分かったので、千尋はそれ以上追及するのをやめた。「うん。期待しているね」千尋は笑顔で頷いた——**** 渚の言った通り、今夜のメニューは素晴らしいものだった。ローズマリーの焼きサーモン・ホワイトソースのラビオリ・ホタテとパセリのソテーに地中海風のシーフードサラダ。味付けも最高で、まるで一流レストランのようなディナーだった。渚は始終笑顔だったが、時折悲し気な瞳で千尋を見つめた。その度に千尋は思った。(渚君、どうしてそんなに悲しそうな顔を見せるの……?) 豪華ディナーの後は二人で後片付けをした。千尋が食器洗いで渚が片付ける係を担当した。千尋が洗い物をしている時。ガシャーンッ!!派手な音を立てて食器が割れる音がした。「渚君!?」千尋が慌てて振り返ると、そこには割れた食器を呆然と見つめる渚の姿があった。「大丈夫!? 怪我してない?」「あ……千尋……。ごめん。食器割っちゃって。ちょっと手が滑って」渚の顔は真っ青である。「何言ってるの、食器なんかどうだっていいよ。それより顔色が悪いけど本当に大丈夫なの?」「大丈夫だよ、割れた食器片づけて来るから千尋は洗い物の続きしてて」「うん……。分かった」再び千尋は残りの食器洗いを続けた。渚が背後でカチャカチャ食器を片付けている音が聞こえている。千尋が食器洗いを終えて振り向くと、丁度渚が廊下から出て行くところだった。その時。渚の身体がス~っと色が抜けていくように透けていき、フッと姿が掻き消えた。「渚君!?」千尋は悲鳴を上げた。「何処!? 何処に行ったの!?」千尋は必死で家のあちこちを探し回った。けれども渚は見つからない。そして最後に渚が使っている部

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    ——3月 千尋は夢を見ていた。それはいつのことなのかは分からない程の遠い記憶――千尋の側には子供のころからの幼馴染で、将来を約束した相手がいた。彼と会う場所はいつも決まっている。そこは二人だけの秘密の場所。待ち合わせ場所に行くと、決まって先に来ているのはいつも彼の方だった。そして千尋がやってくると振り返り、笑いかけてくる。『待っていたよ、僕の大切な———』彼と二人きりで過ごす時間はとても幸せだった。いつか夫婦になって、愛に満たされた穏やかな時間がいつまでも続いていくのだろう。あの頃の千尋は信じて疑わなかった。けれど、残酷な運命が彼を千尋から永遠に奪い去ってしまったのだ。愛する彼はこの世を去り、千尋は泣きながら神に祈った。どうか、お願いです。もう一度だけ愛しい彼に会わせて下さいと――****ピピピピ……目覚ましの音で千尋は目が覚めた。「あ……もう朝だ……」千尋はまだ虚ろな目で天井を見ている。何故か頭がズキズキ痛む。その時になって自分が今迄泣いていたことに気が付いた。「え……? 私、何で泣いてるの……?」千尋の頬は涙で濡れていた。何故かとても悲しい夢を見ていた気がするのに、少しも思い出せない。「どうしちゃったんだろう……? とにかく、顔を洗ってこなくちゃ」泣いて赤くなった目を渚に見られでもしたら、心配されるに決まってる。千尋は渚に見つからないように洗面台に行くと顔を洗い、手早く化粧を済ませると台所に行った。渚はもう起きていて、料理をしている。「あれ? おはよう、千尋。いつの間に起きていたの?」「う、うん。おはよう。ちょっと先に顔を洗っておきたくて」「ふ~ん……あれ? 千尋、何だか目が赤いように見えるけど、どうかした?」渚は心配そうに千尋の顔を覗き込んだ。「大丈夫だってば、何でもないから」千尋は恥ずかしそうに渚から顔を背けた——**** 朝食を食べ終え、食後のコーヒーを飲んでいる時に渚が尋ねてきた。「ねえ、千尋。今日は何の日か知ってる?」「今日? え~と……? あ、もしかして……」「そう、3月14日。ホワイトデーだよ」「そっか。あれからもう1か月経つんだね~」「うん、今夜は楽しみにしていてね。その前に、これ」渚は小さなケースを取り出して蓋を開いた。それは小さな花を模った紫色のピアスだった。とても可愛らしく

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-21 月に願う 3

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  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-20 月に願う 2

    「え?」咲と呼ばれて、千尋の胸がドクンと鳴った。(誰? 咲って?)部屋を出ても、先程の渚のセリフが頭から離れない。熱に浮かされて誰かと勘違いしているのだろうか?一度も聞き覚えのない女性の名前を嬉しそうに言った渚の顔が脳裏から離れない。「いけない……こんなこと位で考え込んでちゃ。とにかく渚君に何か食べて貰わないと」 台所へ行き、お米を研ぐと小さな土鍋を取り出して千尋はお粥づくりに取り掛かった。土鍋でお粥を作っている最中に渚の職場にも電話を入れて、熱が出た為に仕事を休ませて欲しいと連絡をした。 それから約30分後――千尋は出来上がったお粥と薬と水をお盆に乗せて渚の部屋へ再び様子を見に行った。渚は相変わらずベッドで眠っている。「渚君……?」千尋は枕元に座って声をかけた。「う……ん……」渚は目を開けて、千尋を見つめる。「大丈夫? お粥作ってきたんだけど食べられる?」「あ……ごめん。…迷惑かけちゃったね……」渚は弱々しく笑った。「迷惑だなんて、そんなことは無いよ。具合はどう? 何か口に入れないと薬飲めないと思ったんだけど」「大丈夫、起きれるよ」渚はベッドから身体を起こすと壁に寄りかかった。「一人で食べられる?」「うん、大丈夫だよ」渚はお盆を受け取りお粥を口に運んだ。「ありがとう、美味しいよ。千尋」弱々しくも笑顔でお礼を述べる渚。「良かった……。汗が酷かったから上だけ着替えさせてしまったのだけど、後で下も着替えたほうが良いからね。取りに行くから置いておいて」「着替えまでさせてくれたんだ。ごめんね、迷惑かけて」「迷惑なんてそんなこと言わなくて大丈夫だからね? 汗酷かったから、何か飲み物買って来るから待ってて」「ありがとう、それじゃ頼むね」渚は赤い顔で言った。「うん、それじゃ行ってきます」千尋は渚の部屋を出て行った——**** 1時間後—— 買い物から戻った千尋は飲み物や食べ物を出して冷蔵庫にしまうと渚の様子を見に行った。渚はベッドで眠っている。千尋が作ったお粥はきれいに食べられ、用意した薬も飲んでいた。「あ、着替えもしてくれたんだ」足元には先程来ていたパジャマが置かれている。渚の額に手を当ててみると、先程よりも熱が引いているように感じた。「良かった……。少しは楽になったみたい。渚君……疲れが溜まっていたの

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-19 月に願う 1

     真夜中――千尋は自分の部屋で小さな寝息をたてて眠っている。一方の渚は間借りしている部屋のベッドの上で起き上がり、窓から見える月に右手をかざしていた。「千尋……もしも君を好きだと言ったら、君は僕を受け入れてくれるのかな……?」勿論その問いに答える者は誰も無く、渚はいつまでも月を眺めていた——**** 千尋がいつものように朝の6時に起きてみると、珍しく渚が台所にいない。「あれ? 珍しいな……。いつもならとっくに起きてるはずなのに。様子を見にいこうかな」 千尋は渚の部屋の前に来ると、遠慮がちに声をかけた。「おはよう、渚君。起きてる?」けれども返事が無い。一瞬ためらったものの、千尋はそっと部屋の戸を開けた。「入るね……?」部屋に入ると渚はまだ布団の中で眠っていた。が、どこか様子がおかしい。近寄ってみると真っ赤な顔をし、呼吸も荒かった。「渚君……? ひょっとして熱でもあるの?」そっと額に手を当てると、燃えるように熱い。「酷い熱……!」(どうしよう……。とにかく頭を冷やしてあげないと)祖父は冷凍庫に常に氷枕を用意しておく人物だった。千尋もそれに習い、常に氷枕を冷やしておいたので、すぐに台所に取りに行き、タオルでくるむと渚の所へ急いで戻った。熱でうなされている渚の頭を持ち上げ、枕を入れ替える。顔の汗を濡らしたタオルでよく拭いた。身体中も酷い汗をかいている。千尋は一瞬躊躇したが、決心すると渚のパジャマのボタンを外していく。前をはだけると、上半身酷い寝汗をかいている。まずは胸から腹にかけて清潔なタオルで汗を丁寧に拭きとった。「背中も拭かなくちゃ。ごめんね、渚君。横向きになってもらうね」千尋は何とか渚の肩を持ち上げて横向きにさせ、背中の汗も拭き取っていると、渚がぼんやり目を覚ました。「あ……」渚は熱に浮かされた瞳で千尋を見ている。「気が付いた? あのね、悪いけど一度身体を起こせるかな? 汗が酷いから着替えたほうがいいと思うから」「うん……」渚は返事をすると、何とか身体を起こした。千尋は素早くパジャマを脱がせると、上半身の汗を全て拭き取り、新しいパジャマを着せると、すぐに渚はベッドに倒れ込んでしまった。汗を拭いてパジャマを取り換えたお陰か、渚の呼吸が楽になってきた。本当はズボンも取り換えるべきなのだろうが、流石にそこまでは無理なの

  • 君が目覚めるまではそばにいさせて   3-18 バレンタインのプレゼント

     今日の<フロリナ>はとても忙しかった。近年「フラワーバレンタイン」と言う言葉が日本でも徐々に浸透してきているお陰か、多くの若い男性達が花束を購入していったからである。**** ——20時過ぎ 遅番担当だった男性従業員の原と千尋は店の片付けを行っていた。「青山さん、今日はバレンタインのチョコどうもありがとう」シャッターを閉めながら原がお礼を述べてきた。「いえ、いつも原さんにはお世話になってるのでほんの気持ちですよ」「渚君には特別なプレゼントあげたんですか?」「え、と……手編みの手袋です。渚君手袋持っていなくて手を冷たそうにしていたので」「それは良かったですね。あ、そろそろ渚君が迎えに来る時間じゃないですか? 今日のお礼です。残りは片付けておくので青山さんは先に上がっていいですよ」「でも、それでは……」「いいんですって、ほら。行って下さい」「分かりました、どうもありがとうございます。それではお先に失礼します」 帰り支度を終えて店の外に出ると、もうそこにはコートのポケットに両手を入れてガードレールに寄りかかる渚の姿がある。「あ、お疲れ様。千尋」寒そうな息を吐きながら渚が笑顔を向けてきた。「渚君もお疲れ様」「ジャン! ほら、見て」渚はポケットから手を出すと両手には今朝千尋からもらった手袋をはめている。「とっても温かいよ。ありがとう」無邪気な笑顔の渚。「ど、どういたしまして……」渚の笑顔に何故か千尋は胸の鼓動が高まる「それじゃ、帰ろう? 千尋」渚は当然のように右手を差し出してきた。千尋が遠慮がちに手に触れると渚は千尋の手を握りしめて自分のポケットに入れた。「ほら、こうすればもっと温かいでしょう?」「う、うん。そうなんだけど……ちょっと距離が近くない?」動揺する千尋。「え? 近すぎ? 歩きにくいかな?」「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」「ならいいじゃない。離れて歩くより、くっついて歩いたほうが温かいよ?」千尋は隣を歩く渚の顔を見た。街の明かりに照らし出された渚の顔はやはり素敵で胸がざわつく。すれ違いざまに何人かの若い女性たちが振り返って渚を見ているのだが、当の本人は全く気にも留めていない。その時、千尋は渚が大きな紙袋を持っていることに気が付いた。「ねえ、渚君。その紙袋何が入ってるの?」「ああ

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